元気に楽しく生きたい

抗うつ剤なしでパニック障害と闘う生活記録

「休む」ことが難しかった

※休職中(前も含まれてはいますが)に気づいたこと・試したこと・考えたことです。

 

「休む」ことが難しかった

 

 

休職し始めた頃、とにかく仕事のこと考えずにゆっくり休んでねと言われる。

 

もちろん私もそうしようと思っていた。

 

しかし今まで私の脳は休まる事を知らず24時間365日フル稼働だった。だったが故にオーバーヒートを起こしてパニック障害になってしまうほどに。

 

体を休めることは簡単だ。

要は疲れなければいい。安静にしていればいい。

 

しかし安静にすればするほど、脳は勝手に色々考え始める。
脳を休めなければいけないのに。

 

原因の大半は、「不安」だ。

それから「こうなってしまった原因の分析」と「後悔と反省」、それから「これからどうすればいいか」だ。

不安はこういう漠然としたこと全てと、目の前の細かいこともある。

例えば食事。この頃食欲不振でご飯がろくに食べれず、なにかとおえっとえずいてしまう。

しかしエネルギーがほしいと空腹感はある。そのためお腹がすくと「お腹すいたけど食べれるかな」という不安に駆られる。案の定吐き気で食べる気が起きないと「食べないとエネルギー足りてないのに!」とさらに不安になる。

 

そんな繰り返しだった。

 

目の前のこんな不安が常に付き纏っているせいで、元気な時みたいに常に「反省と改善」なんて前向きになれるわけがなかった。

 

不安以外の、何か今できることはないのか、早く治したいという焦りがで始めるのは「睡眠」と「食事」がある程度しっかり取れるようになってからだった。

 

おまけに夏だ。

熱中症や夏バテのせいで食欲が落ちるのもプラスされていた。

 

 

学んだのは、「休む」にも種類と段階があるということ。

 

①ハードなことはせず、近場にでかけたり温泉に行ったりして回復させてる。いわゆるリフレッシュに近い

 

②出かけはしないが、家の中で本を読んだり、料理をしたりして、リラックスしながら過ごして休む

 

③ベッドで安静にして休む、なにもしない。

 

こんな3種類の休み方があると思う。

①はストレスが溜まっていて、体はそこそこ元気な時。

②は少し疲れているが食事や睡眠などの生活は送れている時。

③は、食事や睡眠、その他当たり前にできていたことも難しい時。

 

私の場合は、副腎疲労パニック障害、加えて軽度うつ。(※副腎疲労は病院での診断ではないが別の記事で書くこととする)

睡眠はギリ取れていたが食事は食べらないことが多かったため完全に3である。

 

そう、私は「なにもしない」をして休む方が必要だった。

 

今まで疲れていても、1〜2の休み方しか知らなかった。昼まだ寝てしまうことはあっても、その後何もしないことはなかった。

趣味だったり、なんか編集したり絵描いたり、何かしら制作には取り掛かっていた。

 

だからこそ「なにもしない」ことが難しかった。

 

今は元気ではない。

何する気力も起きない。脳がオーバーヒートを起こしているのだ。
もちろん、体だけでなく脳を休める必要の方が大きかった。

だからこそ、仕事を休んでも趣味ならできる、というわけではなかった。

食事もままならないのだから。

 

体がとにかく重かった。

だるくて眠くて、横になってみるが眠れるわけでもない。

ベッドに横たわり、ただただ、ぼーっとしてみたり、

ベッドで横になりながら近くのスマホじゃなく画面の大きいパソコンで動画流し見してみたり。

 

眠くなったら寝てみたり。

 

起きてご飯食べてみたり、また寝てみたり。

 

本当にそれだけ。

 

今何時だとか、早く治さなきゃとか

焦らず考えず、「これでいいんだ」と流れに身を任せるだけ。

 

脳を使う=何かを考えたり、行動を起こす時に頭を使う。
だからこそ寝るか寝ないかくらい、単純な生活を繰り返すだけだと考えずともできるのでそれくらいがちょうどよかったらしい。

 

それでも、朝起きたら日光を浴びるために外を歩く、は欠かさずコツコツ努力した。

たいした量食べれなくても、気持ち悪くなっても、3食食べるようにも努力した。薬の時間もあるし。

 

そうすると、その生活リズムに慣れてきて

だんだんとできることが増えてくる。

 

例えば

ご飯が少しずつ食べれるようになる。

おえっとえずかなくなる。

ベッドに横になることしかできなかったのに、椅子に座ってる時間が増えてくる。

 

そんな感じだ。

 

お風呂は入るけど出た後は疲れすぎて30分は横になってしまう。

 

それでも少しずつ、少しずつできることが勝手に増えていくから、焦らずにダラダラして良いんだ、と思った。

 

 

怠さが酷くて横になるしか落ち着かない時期は、横になっていればいいのだが、親は普通に仕事に行き、家には誰もおらず、世間は忙しい平日で、なんて思うとやっぱり「こんなんでいいのか」と焦ってしまうもの。

 

ただ数週間経って、やっと

「休む」ことに慣れてきたとき、ぐっと体調がよくなった気がした。

 

多分「休んでいる私」を私が受け入れることができたのだろう。

「今は私は休むことが最優先」「休む時間をもらっているのだから焦らなくていい」「何も生み出さなくても、何もしなくても生きていて良い」そんな風に思えた気がする。

 

もちろん、うつの休み方みたいな動画もたくさん見た。

何もしないということを説明していて、これでいいんだ、と受け入れられた気もする。

 

 

鬱の時の身体のだるさは異常である。

だるいって元気な人がいうめんどくさいのような意味合いとは訳が違う。

 

体が鉛のよう、錆びついて動かないものを無理やり動かしてるよう、体重が10キロくらい増えたよう、そんな感じだ。

それに並行して頭も働かない。

 

私は、「そろそろ昼ごはんたべなきゃ」と思って、頑張って作ろうとキッチンに立てたのは、思った2時間後だった。

それまで、ソファに寝転んでは起き、立ち上がっては座って、スマホ見てはまた寝転びの繰り返し。

それほどに体も頭ということ聞かない状態なのだ。

 

そんな状態になってたのに、よくもまあ仕事してたなと自分を客観的に見ることもできた。

 

そして昼ごはんを食べたいと思って食べ始めるまで2時間以上かかってしまっても、そんな自分を責めないようにした。

食べようとしただけでえらいよ、と。

 

そんな弱った自分を受け入れることで

「休む」ができるようになったのだった。

 

休職して2〜3週間で受け入れて休むことができた。

 

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