元気に楽しく生きたい

抗うつ剤なしでパニック障害と闘う生活記録

マインドフルネスと散歩、イマココに集中するのが大事

※休職中(前も含まれてはいますが)に気づいたこと・試したこと・考えたことです。

毎朝起きたら日光を浴びて散歩する

休職に入るより前、精神科に罹った時から医者に言われた。

朝起きたら窓開けて日光浴びて、できるなら外を歩いてください。毎日5分でもいい、できれば15分くらい。もっとできるなら30分。
そして夜は22時、できれば21時には寝るようにしてください。朝は5時〜7時くらいには起きれると良いかな。

私が精神科に罹ったのは5月のことだったので日差しはあるものの真夏ほどは暑くない。

しかし仕事をしていた時は、そうは言われてもなかなか朝起きることができず、家でるギリギリ、もしくはリモート開始ギリギリに起床していた。
それほどに体力も気力もすり減っていたのだ。

休職に入る少し前6月頃から、朝起きて散歩してから仕事を始めるようにした。
そして休職してからはより一層同じ時間に起きることを心がけた。

元の私は夜行性。
夜更かしはできるが早起きはできない、そういうタイプだった。
休みの日で予定がなければ昼過ぎまで寝てるし、平日も出社の日は7時前に起きて8時前に家を出る、リモートの日は9時に起きて9時半から仕事を始めるというバラバラ具合。

これも良くなかった。
まずは生活リズムを整えること、これを言われて徹底するように頑張った。

最初の方は外を歩く体力もなかったため、朝起きたらベランダにマットを敷いて横になり、日光浴をした。
10-15分浴びていると5−6月、さすがに暑い。
ほんのり汗をかきながら身支度をした。歩ける日は昼ごろになっても夕方になってもなるべく歩いた。

そして7月、休職するぐらいのタイミングでは朝しっかり起きて散歩をするようにしていた。
時間は7時半くらいには起床。7時くらいに頑張ってみた時もあったがどうも定着せず、結局7時半〜8時くらいが起きやすかった。
理由は母が家を出る時間が8時手前なこと。せめて見送ろうとちょっと頑張って起きる理由になるのだ。

 

そして夏という季節も幸いして、朝早い時間から太陽が昇っている。
そのおかげで寝室にも光が入り、朝しっかり起きると決めて日光を浴び、夜早く寝ると布団に入るようにして1週間くらいしたら、自然と目が覚めるようになった。

これが生活リズムが整うってことか・・・!

 

不規則な生活をしていた今まででは感じたことのない自然に目覚ましよりも目が覚める感じ。夜ちゃんと眠くなる感じ。それはなんとも良いものだった。

※ただし副腎疲労のせいで、朝目が覚める=覚醒という感じで低血糖による手汗や吐き気がセットでくるので朝の目覚めの体調は8月中旬ぐらいまでの3ヶ月くらいは最悪だった。

 

マインドフルネスにトライ

脳の疲れは脳を休めること、そう本や動画で目にした。
毎日散歩+日光浴は続けている。しかしそれだけではセロトニンは分泌されても、今まで不足していたとなると回復までものすごい時間を要する。
ましてや私はセロトニンを増やす抗うつ剤を挫折しているのだ。

マインドフルネスや瞑想が良いと良く耳にしていた。
しかし、何も考えないということが意図的にもできないほど常に脳はフル稼働。寝ている時だって夢を見なかった日は20年以上記憶にない。
強いて言うなら、胃カメラ全身麻酔で行った時だろうか。ふっと消えてパッと目が覚めたころには終わっていて、なんとも不思議な体験だった。
しかし夜寝る時は目を瞑る直前にもバーーーッと夢なのか妄想なのか想像なのか、考えなのか記憶なのか、走馬灯のように映像と声で再生される感じがある。(伝わる人いるだろうか)
そのせいで、睡眠薬も一度試したのだが、体は起きてるのにそのいつもある脳が情報整理している状態がなくなって、ものすごく「静か」と感じた。
私は何十年も寝る直前のその脳の「静か」を経験したことがなかったため、睡眠薬の入眠の時の感覚が怖く感じて、1日で断念してしまった。
例えるなら保存の処理をしていないのにPCを強制終了させられた感じ。そして体が動かないのに目は覚めてるような感じ、あれが私は耐え難かった。
死んでいく時ってこんな感覚なんだろうか、そうも思った気がする。

 

話を戻そう。

とまあこういう形で今まで脳が休まるという経験がないため、瞑想なんてやっても何も考えないなんてことができなかった。雑念だらけで無とは何かもよくわからない。
「何も考えない何も考えない・・・こう言う感じでいいのかな」ということを考えている。

 

しかし私が読んだ本では、そんな似たような考え方の主人公がマインドフルネスを教わりながら試し、人にも取り入れていくという話だった。

本はこちら↓「世界のエリートがやっている最高の休息法」

 

この本を読んでマインドフルネスって難しくないことに気づいた。
本当に色々書いてあるのでぜひ本を読んでほしいが、要は「イマココ」に集中することが脳を休めることになる。

イマココに集中する難しさ

何も考えない=瞑想ではない。
呼吸に集中する、散歩に集中するなどイマココに集中する=未来への不安、過去の後悔を考えないことで脳が休まるのだという。

実際、意識しないと私はまだできない。
朝散歩しながらも、今日はこれやってあれやって、とか考えてしまうが、そう言う時は無理やり呼吸にイメージを持つ。

息を吸った時にお腹が膨らみ、何かが上に上がってきているようなイメージをする。
息を吐いた時にお腹がへこみ、何かが下に下がるようなイメージをする。
その繰り返し。
それだけでその時間は「呼吸に集中」しているので他のことは考えていないのだ。

 

瞑想アプリも入れている(課金はした)
UPmind というアプリを入れた。自律神経の調子を測ってくれたり、ナレーション付きの瞑想があったりする。これはまた他の記事でも紹介してみようと思う。

 

頭で理解してもなかなかすぐにはできなかった。
無理やり散歩で目につくものの感想を述べてみたり、気温や湿度について感じてみたりした。

「あの家のドアのデザイン素敵だな」

「あ、鳥が飛んでる」

「今日は少し蒸し暑いな」

そう思いながら脳を少しでも休ませ、また自分でもどんどん考え込んで不安に陥らないように毎日朝の散歩だけでも、と努力した。

そうしていくうちに散歩での気付きが少し楽しくなる。

空が青いなと思える散歩

何かの動画でみた、「散歩しながら気づきを心の中でいいので感想を呟いてみてください」と。

 

私は今まで歩いてる時間=移動時間=何かの考えをまとめたり、その先のスケジュールの整理をしたり、何かと他のことを考えていて忙しなかった。
こうなってしまうまで、散歩というものもした記憶がない。
歩いた=移動時間とかそんな印象だ。用事もなく歩くことなんて今までなかった。

しかし朝散歩を始めてからは用事もなく歩くことになる。
毎日歩くのと朝起きて割とすぐ歩くので化粧もしていないし、服装もラフ。
近くにいい景色が見れるところもないので、住宅街の近所を歩き回るしかなかった。


ここに住んで何十年、途中いないときもあったが、家から駅までの道以外、長年住んでても気にして歩いたことがなかったなあと気づく。

「この辺の家って新しかったんだ」

「この家お花がたくさん飾ってある、手入れすごいなあ」

 

など、そしてふと空を見上げて今日の天気を確認する。

「空が青いなあ」

 

意図的に空を見上げて、青いなあという感想を持ったのは、何年ぶりだっただろうか。

 

小さい頃はたくさん外で遊んでいたのに。
ぼんやりと、小さい頃海に行っていた時、泳ぎ疲れて砂浜のサマーベッドで昼寝していた時に見た波の音をと雲ひとつない空を思い出した。
まさかそれ以来ということはないと思うが、「空が青いなあ」と時間に追われることもなく、ただただそう思ったことになんだか大切なことを思い出したような、そんな気がした。

 

私に足りなかったものは「今」を感じる心の余裕と感性だったのかもしれない。

どんなに未来を考えていても、その考えた未来にいる時にはさらに未来を見ている。
いつだって今が一番大事なのに、今から目を背けてきた、そんな気がする。

 

もちろん、空を見ただけでここまで思えたわけではないが、
「空が青いなあ」と思えた自分が少し素敵だなと思えた瞬間だった。


人の家の生活、家が気になる

散歩が少し楽しくなった。
今日の空は、少し雲が多い!なんて思いながら、6月頃からだろうか、毎日欠かさず朝散歩を頑張った。
雨が降っても歩くことが気持ちよくなっていたので散歩をしていた。

雨の匂い、水たまりなど雨は雨で景色が変わるのが面白い。

 

毎日同じ道も飽きて、少し行ったことないところまで行ってみた日もあった。
こんなところにこんな建物あったんだ、とかこの道行くとここに出るのか!など、何十年住んでいても知らなかったことも発見できた。
そして同じ家を眺めていると、だんだん生活が見えてくる。


子供の自転車が置いてあるな、とか
車の洗車してる!こんな朝から!?とか。お年寄りが多い町会なので毎朝顔合わせる人もできてきた。挨拶すると少し気持ちが良い。

たまに「歩き方が素敵ね」なんて言ってくれるおばあちゃんがいたり「挨拶返してくれるの嬉しい、救いだよ」と言ってくれるおじいちゃんがいたりで嬉しくなった。

私も仕事を休んでいて、夜家族と話す以外話さないので、朝の一言の挨拶だけでも人とコミュニケーションを取るって全然違うんだなと実感した。

一人ぐらしのお年寄りは近所の人と話しているのは、つまりそういうことなのだろう。
店員さんについついどうでもいい話をするお年寄りもいると思うが、どうか多めにみてあげてほしい。
そんなことまで思った。気持ちが痛いほどわかったからだ。

そして、人の家の生活やこの部屋テレビが聞こえるからリビングなのかな?という今まで気にしなかったところを想像しながら歩いてみたりして、同じ道を歩いていても楽しむことができた。

アパートを見つけた時には、このアパートの間取りと値段、調べてみようと調べたこともある。駅までこの距離でこの駅だと家賃これくらいなのか〜と。
知って何になるわけでもないが、地元にこんなに興味が湧いたのは初めてのことかもしれない。

これが愛着というものだろうか。笑

 

涼しくなってからは少し起きれなかったりとサボり気味にもなってきたが、「歩かないと治らない!!!」と気が張っていたころよりはある意味回復してきた証拠だろう。

 

今でもほぼ毎日朝散歩を続けている。

最初の1週間が起きれなくてつらいと思うが、頑張って1週間は試してみてほしい。
そしたらきっともうルーティーンになってくるはずだ。

 

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