休んでから、気づいたことがある。
動画やネット記事、何を見ても、ストレス緩和やマインドセットには、「何もしないが大事」「理想通りに自分も人も動かせない」「ありのままの自分を受け入れる」「流れを受け入れる」そうヒットする。
そうすることで、理想と現実のギャップに苦しむことなく、楽に生きれると。
その言葉の理解はできる。
ただ、そう思ってはいても今までそう思えてなくて苦しんできたのだから、すぐに考え方を変えることが難しい。
友達や身内、誰かに会った時、「体調どう?」と聞かれつつ、「こんなことに気づいたんだ〜」とか、「こうやってこれからは考え方を変えてみるつもりなんだ」、と口にすることが増えた。
私の性格上黙って行動するというよりは、誰かに宣言することで実行力があがるため、人に宣言しておくことが多い。
やりたいことが決まったらSNSで呟いてみたり、会った友達に話したりするのだ。そう口にだしたり公言することで自分のケツを叩くみたいな効果が得られる。
だから今回も同じだった。
「何もしない時間を楽しめるようにしている」とか「優先順位をつけて体調優先にする、制作や投稿はその次」と。
制作、投稿とはyoutubeやインスタの運営だった。
まだ収益化には結びついていないものの、収益化を目指しているし、あわよくば今後の将来にもこのフォロワーやチャンネル登録者が大事になってくる未来があると思っている。
だからこそ、「休むに徹底する」とか口では言っていても、更新を止める=夢を諦めるみたいになってしまうのではという気になり、なんだかんだ体調を見てはPCに向かっていることが多かった。
もちろん本当に体が言うことを聞かなかった時はPCに向かうことすらできなかった。仕事の復帰シュミレーションのように、何かに集中できるか検証として動画編集や画像編集、こうしてブログを書いたりが多かったが、それでも思い切って「じゃあ発信はやめて生活を楽しもう!」と切り替えることはできないのだ。
PCやスマホ、SNSから離れた日は、「こういう生活もいいな」と思えた。
自然に触れ、体内時計に従い、天気や日光の感じで穏やかな時間を楽しむ。人との会話や生活に目を向けて楽しむことができた。
そんな日には、小さい子供を見ると、自分が結婚して子供を産んで、穏やかに家族生活を楽しんで生きるのも素敵だなと思う。
しかしやっぱり海外にもまた住みたいし、紅茶でも仕事に結びつけたい、自分の好きなことを仕事にしたいし、「自分」の価値を活動で見出したい。そう思ってる私としては、やっぱりその実現のために日々更新すること、発信することをやめたくなかった。
SNS=ネット上だとしても人との交流はあったし、現実で一人ぼっちでいる時間も、一人じゃない気になれる。
そして発信する場でも、youtubeやインスタの投稿や反応が楽しみというよりは、何かを制作、うみだしている自分が好きなのもあるかもしれない。
仮にもクリエイター。
デザインの専門学校卒業しているし、基本的に作ることは好き。
多くの人に見てもらえたらもっと嬉しい。
そんな人間だ。何も作らずにじっとしているのは、なんだかつまらなく思えてしまうのだ。
だからやっぱり、疲れるから発信はやめよう、と簡単に切り捨てることはできなかった。
ブログだって今回パニック障害やうつになって休職してから始めた。
元々やっていたブログもあったが更新は止まっていて、手書きで日記はつけていたものの、やっぱりこう、自分の経験や考え、体験が誰かの目に止まったらいいなと思ったからだ。
私自身が、誰かが発信してくれたブログや動画で、不安が安心に変わったり、救われたことがたくさんあるからこそ、私もそうしたいと思っているだけだが。
もちろん、最初から誰かのためにブログを、というよりは「元気になった私が、またこの時期のことを忘れて無茶しないよう」、という戒めの記しでもある。
辛いことや、今までできなかった考え方を改めるって、「それが当たり前」になってしまってからではその前のことはきっと忘れてしまう。
この気づきって大事だったな、と、そう思えた日の気持ちを忘れたくなくて、こうしてブログという媒体に残しているのかもしれない。
結局ブログやyoutube、インスタ、ちょっと前までは同人活動もしていたし、好きなことが多すぎて、どれもちゃんと続けたくて中途半端だ。
でも、今回の休みをきっかけに一旦同人活動はお休みしている。
youtubeだって新しく海外旅行に行く元気はまだないので、過去の分を編集しつつ、自分でも思い出に浸って楽しんでいる。
収益化するためにはもっとやった方がいいこともわかっているし、どれか1つに集中した方が結果がでることもわかっているが、私はきっといろんな媒体でしっかり続けながらもどこも綺麗に残したいのだろう。
そのどれもでたくさんの人に見てもらえて嬉しい、となるのが理想。そのためにコツコツ更新しているのかもしれないし、もしかしたらただ自分の留学や海外生活の思い出を誰かに見てもらいたいだけなのかもしれない。
1つの作品を生み出して、展示して「いいね」と言ってもらえると嬉しい、買ってもらえるともっと嬉しいというクリエイターの心が、今は動画や画像(体験)という形になっているだけで、元の私は変わっていないのかもしれないな、と思った。
自分の好きなことを続けて、無理しない形でそれがお金に変わって生活ができたら理想。
きっとこれが私の理想の生き方なんだろう。
追い求めすぎて疲れてしまっては意味がないこともわかっている。
穏やかな生活をした方が幸せなのかもしれないし、親も周りもそう望んでいるのかもしれない。
それでもクリエイターとして自分がする何かで生活がしたいと思う理想は捨てきれないし、今回学んだ優先順位や取捨選択の意味をわかっていても、それでも何かを作り続けてしまう私は、何か作っていないと気が済まないのだろう。
遠目から見ると、その瞬間は「やらなきゃ」と追われていても、完成した作品がたくさん並んでいる自分のyoutubeやインスタを見て、たくさん生み出したなと満足しているのかもしれない、ただただものづくりが好きな人間なのかもな、と思った。
仕事に復帰したら、きっと寝る時間を優先して平日は制作ができなくなるだろう。
今まではそこで睡眠時間を削ってても、制作しなきゃ!更新頻度下げないようにしなきゃ!と言っていたが、もしかしたら「少しでも何か作っている時間がないと楽しくない」のかもしれない。
ちょっと前に、「私はyoutubeの海外動画、撮っている時は楽しいけど動画編集は好きじゃない」と言ったことがある。もちろん旅行に行ってる時の方が楽しいし、編集作業や地味で時間もかかるし楽しい作業ではない。これは事実だ。
けれど、上記の私の人間性を思って改めて考えると、それでも私は「自分で編集したい」と思っているし、自分で撮っている時も編集された動画をイメージしてコメントしたり撮影したりすることもある。こういう動画にしたいなと思いながらその場で撮影する=作っている時間のことも楽しみにしている自分が明らかにいるのだ。
もちろん誰かが編集してくれるならお願いした方が更新率は上がるし、自分がやるより面白いものが生まれるかもしれない。
けれど今の気持ちとしては、全部自分がやることで、1つの作品を生み出しているただのクリエイターに過ぎないのだなと。
ということは、やっぱり動画編集の時間も総合的に見れば私の作品を完成させるための「好きな時間」なんだなとおもう。
収益化したいという気持ちも、これで仕事になったら嬉しいなという気持ちも本心だ。だからといってやっぱりこの「好きな時間」をなくしては、ダメなのかもしれない。
人に任せたら売れるかもしれないが、自分でやりたいのはクリエイターの性なんだろうか。
口にしてることと、本心のズレ、捨てきれない理想
これはなかなか難しいなと思った。
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